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Queen Elizabeth National park
2004-12-24 Fri 21:37
QueenElizabeth National park

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別窓 | ウガンダでの生活
村長宅で
2004-12-19 Sun 02:39
ナンサナ村7〃8Zoneのカバンダ村長から、ホームステイしにこないかというお誘いを受け、先週から17人家族の仲間入りをさせてもらっている。

カバンダ(父・42歳)・ナガワ(母・年齢?)の子供は、長男・マウェッジェ(20歳)、長女・イバ(17歳・女)に始まってバブラ(12歳・女)、ジュリエット(12歳・女)、ジョアニータ(10歳・女)、プロス(10歳・女)、ジャネット(4歳・女)。 ミレイ(24歳)、グレイス(14歳・女)、アイリーン(14歳・女)はカバンダの親戚の子供。ムシゲ(15歳・男)は実の父親から暴力を受け続け、逃げていた所をカバンダに助けられた。 ナカトー(11歳・女)は、ストリートチルドレンだったが、カバンダによって拾われた。ペイシェント(3ヶ月・女)はミレイの子供だが、お父さんはいない。ミレイの夫はミレイの妊娠を知り逃げてしまった。
そしてフィオナ(8歳・女)とジュニア(5歳・男)は今年8月に村長宅に引き取られた兄弟だ。

今年8月、村長宅に知らない女性がやってきて、この子たちを数時間見ていて欲しいと言ってきたそう。それから数時間・数日・数ヶ月経っても母親は姿を現わさず・・・


4ヶ月経った今、フィオナとジュニアはすっかり村長宅の子供のようになっている。子供たちは朝から晩までよくお手伝いをする。


まず、1日2回程度の水汲み。よく断水になるこの村では、水がなくなれば、約3リットル、5リットル、20リットルの水が入る、サイズの違うタンク(ジェリカンと呼ぶ)を持って、近くの井戸まで水を汲みにいかなくてはいけない。
(水道がない家では、365日毎日この作業を繰り返す)


往復約2キロの行程なのだが、途中に大きなぬかるみがあって、(最近雨が続いているため)そこで一旦裸足になり、じゃぶじゃぶ膝まで水に漬かりながら、井戸へ向かう。


4歳のジャネットでさえ、3リットルの水をいとも簡単に運ぶ。汗だくになりながら、5リットルのジェリカンを必死になって運ぶ私とは大違いだ。


私の姿を見て子供たちは大笑い。ジョアニータは自分も5リットルのジェリカンを持っているのに、「Can I help you?」と聞いてくる。「いやいや、ちょっと休もう」と言って、皆で木陰に座っておしゃべり。


いつも真っ先に休憩をしようと切り出すのは、決まって私。そして汲んできた水を洗面器に入れ、ごしごしと洗濯をしていれば、「いつもマシーンを使っているから、難しいだろう?」と村長が聞いてくる。


更にグレイスやアイリーンは、「洗濯は私たちがするよ」と言ってくる。洗濯も水汲みも料理も、小さな子供の面倒も掃除も、ウガンダの子供たちは、大人顔負けに見事にこなす。すっかり機械に頼りきってしまった日本人の生活スタイルとは、180度違う。


ホームステイをし始めてから、夜が楽しい。夕食が終われば、夜は8畳程の部屋(ここは、12歳以上の女の子たちの部屋で、私もこの部屋で一緒に寝ている)にいつも10人以上の子供たちが集まって(近所の子供が遊びに来ることも多い)、歌を歌ったり、踊ったり・・歌の上手なイバが、覚えたての歌を披露すれば、たちまちアンコールの声が鳴り響き、皆が同じように歌おうとする。

そこで1枚の紙に歌詞を書き、皆で覗き込みながら必死に頭に歌詞を入れようと試みる。同じ歌を20回以上は繰り返し歌うのだ。イバが「この部屋にラジオがあったら、もっとレパートリーが増えるのに」と呟く。


ルガンダ語の歌も、子供たちは熱心に教えてくれる。ホームステイをし始めてから、皆の丁寧な指導のお陰で3曲の歌を覚えることができた。


停電になれば、部屋の外に出て空を見上げる。
満点の星空。

停電であるから、星は更に輝きを増す。すると突然「あー流れ星だ!」と誰かが叫ぶ。歓声が沸く。


「こうやって星が流れた時に、願い事をしたら叶うって知っている?」と私が聞くと、ナカトーがびっくりした顔で、何度も「本当?本当?」と聞いてくる。


皆が必死にルガンダ語で何かをお願いしている。「星が流れている間に、お願い事をしないといけないんだよ」と言うと、慌てて皆揃って、早口の練習。
そんな時もフィオナは1人真剣に空に向かって祈っていた。彼女の願いは、・・・?お母さんが帰ってくることではないだろうか・・何故だかフィオナに尋ねられなかった。


アパートに住んでいた時は、停電になれば勉強をするか寝るしか選択肢がなかったが、カバンダ家にやってきてからは、どんな状況下でも色々な楽しみ方があるものだということに気付いた。もっとも子供たちの純粋な気持ちが溢れているから、その楽しみも倍増するのだが・・・。


時計の針が11時を回る頃、私たちは床に就く。8畳の部屋に、7人の子供プラス私が一緒になって寝る。
夜中に突然目が覚めた時、小さな小さな寝言が聞こえたり、ぐっすりと寝息を立てながら、子供たちが気持ち良さそうに寝ている姿を見ると、生きているって素晴らしいなあ!と思うのだった。

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別窓 | ウガンダでの生活
交通事情
2004-12-13 Mon 02:42
マタトュとは乗り合いタクシーのこと。


使われている車はほとんど全てが日本からの中古のハイエース。カンパラの街中には、ニュータクシーパークとオールドタクシーパークという所があって、約500台以上のハイエースがぎっしりとしきつめられている。

以前ウガンダを訪れた時(6年前や8年前)は14人乗りの所を32人から35人くらいは乗りこみ、客は詰められるだけ詰められていた。
しかし、ここ近年マタトュによる事故が多いことから、乗客は14人と厳しく制限されている。


運転手さんやコンダクター(車の中で集金したり、客を集めたりする)の収入が歩合制のため、前や横から車やバス、ボーダーボーダー(荷台が取り付けられた原チャリ)が来ようが、止まることはほとんどなくぎりぎりすれ違いながら走る。このため摩擦事故は多く、怪我をする人も後を絶たない。


でも安くて便利なマタトュは今や庶民の足となり、ウガンダ国内で最も発達した交通手段となっている。そしてこのマタトュに乗れば面白い人間模様を見ることもできるし、人いきれを肌で感じることもできる。


ただ、びっくり仰天するようなことも度々起きる。
先日、マケレレ大学の正門前からナンサナ村方面のタクシーに乗り、出発するのを待っていた。


乗客がある程度乗り込まなければ、タクシーは出発しない。そのタクシーには私を含め、8人くらいの客が乗っていた。運転手はまだ出発しない様子で、バンと大きな音をたて、運転席から降りていった。


その瞬間、坂道に止まっていたタクシーがずるずると後ろへ下がっていった。何事?ぞくっぞくっと鳥肌が立った。入り口に座っていた乗客が大声で叫び、タクシーから必死に降りようとする。運転手は異変に気づき、大慌てでタクシーに戻る。


なんと彼はサイドブレーキをかけ忘れていたのだ。乗客から大声で文句を言い合う声が聞こえる。(ルガンダ語だったため、内容は定かではないが・・・)でも運転手は謝る訳でもなく、何事もなかったように知らんぷり。


「全く、もう・・・」と思っていると、周りの乗客が「Come On!」(いいかげんにしろよ。あきれた)と今度は英語で運転手に言い、私にも「あなたもそう思うでしょう?」とばかりに同意を求めてくる。


首を縦に振りながら、「もちろん。死ぬかと思った。」と私も言う。「そうだ、そうだ。私たちを殺すきか」運転手に対する罵声はヒートアップし、タクシーが走り出したのは、その40分後だった。


マタトュに関する話題には事欠かない。
最近ウガンダでは都市部を中心にシートベルト(乗客も皆しなければならず、各席に1つついている)の取り締まりが厳しくなっている。


ただ、この取り締まり矛盾が多いのだ。ある日のこと。マタトュに乗っていた3列目の乗客の席のシートベルトは、途中でベルトが切れていて、使い物にならなくなっていた。
その席に座っていたのは、40歳過ぎくらいの女性だ。
車が走り出し、カンパラ郊外に着いた時に事件は起きた。シートベルト取り締まり中の警察官が、私の乗っていたマタトュを検問に来たのだ。


彼は外から窓をがーっと開けて中を覗き、その女性がシートベルトをしていないことに気づいた。もちろん女性は「シートベルトがないから出来ない」と、ぶざまに切れたベルトを見せながら、必死に説明をする。


しかし、警察官はその女性のみを外に出し、罰金を科すのだった。本来なら、きちんとシートベルトを整備していなかった運転手やコンダクターが罰せられるのが然るべきではないか。


時にウガンダ人と共に怒ったり驚いたり、笑いあったりしながら、今日も、運転席の横から流れるラジオのウガンダミュージックを耳に、縦横無尽に走るマタトュに乗っている。
別窓 | ウガンダでの生活
2004-12-04 Sat 02:43
P3クラスの生徒の1人がこの世を去った。
彼の名前は「モーゼ・カトンゴ」。


私が初めてこのクラスへ来た日に、他のウガンダ人の先生から「ゆかの顔はP3のモーゼに似ているね」と言われたことがあったので、初日から顔と名前が一致した数少ない生徒の1人だった。


ウガンダでは珍しく授業中はシャイな子で、恥ずかしそうに手を挙げ、でも一歩学校外で会えばものすごく大きな声で「Yuka」と声をかけてくれる一面もあった。


彼の死因はマラリアだと聞いたが、エイズを発症していたともある先生から聞いた。
モーゼは4日間ムラゴ病院(ウガンダ1大きな病院)に入院していたのだが、高熱に体力がついていかず、遂に命をひきとったとのこと。


ウガンダに来て初めて涙を流した。学校の先生から「ここウガンダでは死は日常的なことだから・・」と言われたが、私にとっては今ある命、かけがえのない1人の人間の存在だ。


この「死」とどう向き合えば良いのだろう。
モーゼの死から数日後、私は10人の子供たちと一緒にモーゼの家へ行った。


学校から歩いて20分くらいの所にあるレンガ作りの大きな家だった。 お母さんが「Thank you very much for coming」と小さな声で挨拶をして下さり、私たち11人は家の中へ案内された。
お母さんが小さな袋から3枚の写真を大切そうに取り出し、見せてくれた。


モーゼが5歳の時の写真(ぷっくらとしたほっぺたが印象的だった)、 家族や親戚と一緒に写っている写真(真ん中で他の3人の兄弟と一緒に楽しそうに笑っていた)、 そして最後の1枚は棺に入れられ、安らかに眠っているモーゼ。


お母さんが「病院で最後死んでいく時、モーゼはずっと祈っていた」と教えてくれた。
そしてお母さんは涙を抑えながら、私たちを裏庭のお墓まで連れて行ってくれた。
皆でお墓に赤土をひとつまみかけながらお祈りをする。
私はお母さんに「モーゼのことは決して忘れません。」と言って、子供たちと一緒に学校への帰路についた。


途中、メインロードの脇のお店でパイナップルを1つ買い、皆で分けながら私たちは「モーゼ」について話をした。 。
「今モーゼは空にいるね」と私が言えば、Lilian(リリアン)が「死んだら星になるんだよね」と聞いてくる。
「そうよ」と私が言えば、Benald(ベナルド)が「死んだらずっと空で生きられるんだよ。 モーゼはサッカーが好きだったから、今サッカーをしているよ」と言う。


たくましく成長していく生の中に、同じくらい死の数も多いこと、喜びと悲しみ、生と死がまさに表裏一体となって存在しているここウガンダ。


今モーゼは空で、何をしているだろうか。
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