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ウガンダへ
2009-03-25 Wed 17:48
では、ウガンダに行って来ます。ちょうど1年ぶり。

今まで、MUKWANOホームスクールはP1-P6(小学校1年から6年にあたる)までだったのですが、今年から先生達の意向でP7も作ることになりました。ウガンダの小学校は通常、小学校7年生までなんですが、MUKWANOと現地のCBO/サマニャの最初の話し合いで、まずは小学校6年生までやってみようということで2007年12月より進めてきました。クラスルームは足りないのですが、先生達の強い意志の元、小学校1年生や2年生は青空教室でも良いのではないか?といった意見が多く、この度もう1クラス作ることになりました。よって新しい先生も来ます。

また今まで教科書は先生達のみが指導の際に使っていたのですが、4月より子ども達にも配ることになりました!まずは、全ての教科で2人~3人の子どもに教科書1冊という形になりますが、今回の訪問中、校長先生と一緒にカンパラにて教科書の購入をする予定です。という訳で、何度か首都のカンパラとRakaiを往復になりそうです。

今回の訪問は残念ながら短いのですが、久しぶりに子ども達や現地でお世話になっている方などに会えることが楽しみです。しばらくブログはお休みしますが、帰国後に報告させていただきます。


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文化3
2009-03-25 Wed 09:39
ここ最近、私がとっている授業の1つで3週間に渡り、紛争解決への伝統的アプローチin Africaについて色々なケーススタディーを見てきた。この授業は、毎回色々考えさせられる。外部からの西欧型紛争解決方法では失敗してきたという経験から、伝統的な紛争解決方法に近年関心が高まっている。アフリカでの紛争解決にはやはりその国土着の知識、解決方法を使って解決することが望ましいのではないか?と言った意見が増えてきているのだ。

その1つにルワンダのGacaca裁判がある。Gacacaに関しては、このブログでも何度か書いたことがあるけれど、1994年のジェノサイドの後ルワンダ政府が導入した司法制度 (2002年導入)。もともとこのGacacaは、家族内などのいざこざを解決するための慣習的な集会をさしているが、ジェノサイドの後に導入されたGacacaは政府が管轄していて、地域社会レベルで民衆の意見に基づいて実施された。ルワンダの国際刑事法廷もタンザニアに設置されたが、何十億ものお金がつぎこまれた一方、2005年までに刑が確定したのは25人前後。こうした裁判のプロセスを早めるためにも、Gacacaを設置せざるを得なかったという意見も多々あるようだ。

週に一度集会が開かれ、生存者や目撃者、地域住民などが集まる。裁判官は住民の投票によって選出され、法律、裁判官としての倫理、カウンセリングなどの基礎的なトレーニングを数日間受ける。

私はガチャチャに関する本やジャーナルを読むたびに、ガチャチャ裁判が公正な裁判を出来るのだろうか?プロではない裁判官が本当に適格な判断が下せるのか?目撃者など協力した人の安全はしっかりと保証されるのか?などという疑問が沸いてきていた。また、現在まで RPF側(現政権側)の犯罪が裁かれたことがないということからも、真の意味での和解が可能なのか?といった疑問があった。

もう1つの例は、これも前に少し書いた北部ウガンダのMato Oput。国際法がどうであれ、地域での伝統的な地域に根付いたアプローチで紛争を解決しようということから、「Mato Oput」と呼ばれる儀式を用いた。

こうしたケーススタディを見るにつけ、本当にこれだけの規模の犯罪に対して、こうした伝統的紛争解決方法で、十分なのか?と疑問に思ってきた。確かに西洋で作られた法や規範を、文化が異なるアフリカ各地のケースに全て用いることは、どうかと思う。でも、、、とどうしても批判的にこうしたケーススタディを見てしまっていたのだが、アフリカ出身のクラスメートの意見を聞いていると、どうもそんなことはないようだ。むしろ、私の友人たち(ウガンダ、ナイジェリア、エチオピア出身者ー少なくともこのテーマについて、色々話をした皆)は、アフリカの伝統的アプローチを高く評価していた。「こうしたアプローチのdisadvantageを探す方が難しい」と言った意見もあったし、「Yukaの言うことも分かるけれど、罪を皆の前で告白すること、コミュニティが、貧しい人たち皆が集まれる場でこの紛争解決が行われるということがすごく大切なのだ」という意見が多々あげられた。

私はこうした意見を聞くと、アフリカでのFamilyとかcommunityといった概念が、私の持つそれとは随分違うのだということを強く強く感じた。確かに、ウガンダに住みそうした意識は持っていたつもりだったが、私はやはり外部者の目からこうしたケーススタディを見てしまっていたのだ。

西欧型紛争解決が、「懲罰」的要素を含むことに対して、アフリカの紛争解決方法は、犯罪者がコミュニティに戻った際に、被害者、家族などそれぞれがどうしたらコミュニティーで共に生活できるか?といったことに趣を置く。アフリカでは、紛争解決はコミュニティ全体が関わるもので、調和の修復が目的になることが多いのだ。例えば、誰かが何か犯罪を犯した場合、コミュ二ティや選ばれた長老などの前で、その罪について語ったり、償いとして牛などを渡したり、又は儀式を通して罪が償われるというケース。コミュニティ全体が、紛争、紛争解決に対して責任を持っているのだ。

最終的に和解プロセスの是非を判断するのは、やはり当事者だが、その当事者にも社会的関わり(コミュニティとの関わり)ということが重要になってくるのだ。現在の紛争が、非常に複雑である中、伝統的なアプローチだけでは難しいが、伝統的アプローチを重要視しつつindigenousと、non-indigenous (伝統的と伝統的ではない)の方法をうまく組み合わせることが求められるのではないか?勿論、1つ1つの紛争のcontextをしっかり見ないといけないと思うが。


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英語でのスピーチ
2009-03-19 Thu 09:45
実はイギリスに来てから、何度かスピーチ(約20分~30分)をする機会がある。

こうやって人前で話す時、話す直前まで私はいつもと~っても緊張するのだけれど、やっぱりいつも良かったなと思うのはアナウンサーの経験。福岡のテレビ局の入社1年目の頃、人前に出る時に赤面したり、緊張して手足どころか歯までガクガク震えていたことを思い出す。でもあの時に上司が「経験を積んでいくしかない」とか「これで死ぬ訳じゃないんだから」とよく言われて、そうかぁ~と納得したのを思い出す。という訳で言語は違えど、実際に話しだすとすっと緊張がほぐれる。

ただ緊張はさておき、一回一回スピーチの後では、「ちゃんと伝わったかなぁ」とか「この表現を使うべきだったかな」と1人反省会。気持ちを伝えるべく一生懸命スピーチをするようにしてはいるのだけれど、自分があまり使わない言葉をいくつか入れたとき、(ドラフトを作る際に辞書で調べてとってきた言葉)に関しては、結局使っても自分がしっかりその言葉に想いを込められていないような気がして。言葉が宙を浮いてしまっているんだよね。でもそうなると新しい言葉を使えなくなってしまう訳で、日常会話で出来るだけ新しいボキャブラリーを増やしていき、自分の言葉にしていくことがとても大事だなぁと思う今日この頃。

先日、クラスメートでザンビア出身の友人と、同じ講演会に呼ばれそれぞれスピーチをした時のこと。彼も英語は第2言語。英語がすごく流暢ではないのだけれど、彼のスピーチは言葉が力を持っていて、気持ちや想いが言葉を超えているように思った。本人が意図してるかは分からないけれど、1番強く言いたい所の前にしっかり間を置いていたり、伝えている時の表情や表現方法、言葉の運び方などが、素晴らしいのだ。

でも、何より彼のスピーチには「伝えたい」という想いが溢れていた。その熱い気持ちが、英語の壁を越えてひしひしと伝わってきた。言葉にも表情があってパワーポイントの資料に写真がなくても、彼の見た情景や想いが想像できるのだ。彼は、ザンビアの難民キャンプで働いていた時に出会った、コンゴから来た難民についての話、そして難民の母国への帰還と受け入れ国の問題、また紛争後の女性の問題に関して、コンゴやルワンダ、ブルンジなどなど彼がこれまでに訪れた国での経験を率直に語っていた。

自分の気持ち、感じたこと、学んだこと、思っていることetc...を真っすぐ伝えるって、やっぱり難しい。特に英語であれば尚更。でも彼のスピーチを聴き、やっぱり根本の「伝えたい」という気持ちがいかに大切かということを改めて感じた。


IMG_2693.jpg

(Grimsbyにて)
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political economy of war
2009-03-14 Sat 22:36
内戦の政治経済 (political economy of civil war)が平和構築をどのように妨げるか?前期に天然資源と紛争の関係についてエッセイを書いてから、その構造を色々調べている。

天然資源と紛争には深く関係がある。天然資源の枯渇よりも、豊富さが原因で紛争になる方が更に、紛争を悪化させるとした見解が多い。また天然資源に恵まれた国は、乏しい国より経済発展が遅れる傾向にある。何故か?天然資源は政府の腐敗した利権構造を作り、政治不安に導く。天然資源で紛争に導くことが多い。特にダイアモンドとか、drugなどの天然資源は、簡単に戦争を長引かせる材料となり、違法な経済活動(闇経済)に拍車をかける。

でもその一方で、例えばボツワナはダイアモンドなどの天然資源に豊富だが、これらの資源が安定した経済成長につながっているというケースもあり、一概に天然資源が紛争の要因を作るとは言い切れない。結局天然資源が紛争に発展するかしないかには、それぞれの国が(リーダー)が、いかに天然資源を管理するかに依る所が多い。

内戦中のアンゴラでは、アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)がダイヤモンド資源の確保によって、数十億ドル単位とも いわれる利益をあげたといわれる。1990年代前半のリベリアでは、後に大統領になるチャールズ・テイラーが、大麻やダイヤモンド売買に対する徴税行為によって、一年に7500万ドルもの利益を上げ続けていた。大金である。

他にも貪欲(greed)と怒り、不平(grievance)という見方がある。貪欲:政治集団が資源の獲得のために、紛争を仕掛けるという考え方。一方、怒り、不平:人々の不満が集団内で高まり、抑圧している者に対して紛争を起こすという考え方。不平よりも貪欲の方が反乱軍が紛争を起こす原因になりやすい。

最後にこの政治経済の仕組みには、欧米やアジア、また隣国との切っても切れない太い関係がある。結局購入するものがいなければ、天然資源に価値はない。企業や個人が購入して、武器の代金になっては内戦を長引かせる。紛争前や紛争中でも、企業の活動が、紛争に影響を与えることは多い。企業がこの現状、問題に真剣に取り組んだら、少しずつ紛争は減るかもしれない。

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エッセイ
2009-03-10 Tue 08:18
図書館で、イギリス出身のクラスメートと遭遇。この方は恐らく50歳前後と思われるが(年齢は聞いたことない)、非常に頭が切れ彼のコメントや質問によって深まった授業は数知れず。コンサルタント会社を作り自らそこで働き、世界各地を仕事で廻っている。

彼は仕事をしながらの学生なので、パートタイム。よって取っている授業も限られているのだが、関心地域がアフリカということで、Term1もTerm2も同じクラスになることができた。

その彼が、今月提出予定の私のessay(内戦の政治経済学について)にコメントをくれた。下書きを終えたessay、argumentが弱いような気がしていると言ったら、約25ページの私のessay、なんと約10分でばっちりチェックしてくれたよ。しかも自分が見過ごしていたポイントを非常に分かりやすく説明してくれた。深く感謝。よってもう1度essay手直し中。

その方、Term1のエッセイ締め切り日の2日前に図書館で会った際、「今エッセイを書き出した所」って笑って言っていたのだけれど、こういう人ってもともとの読書量や知識もさることながら、reading、頭の回転、writingも速いから、2日間でばっちりのessayが出来るのだろうな。

羨ましい限り。。。私には全くない能力。コツコツ、地道にがモットーです。(というかそれしか方法がない)。今月末にウガンダへ行くため、頑張らなきゃ。。。。



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チベット
2009-03-07 Sat 07:54
大学院のコースには、色々なバックグラウンドを持つ学生が多い。政府、国連、NGO、教師、軍隊、musician,ジャーナリスト、弁護士、カメラマンなどなどざっと見渡しただけでも、とっても幅広い。。

友人(中国出身)はここに来る前に、チベットの子どもをサポートするNGOで働いており、よくビデオや写真を見せてもらっている。チベットには、小学校がない地区がいくつもあり、習う科目も限られているのだそう。学校に行ったことがない子どもも多い。チベットを離れ亡命政府のあるインド・ダラムサラへ亡命する子どもたちも数多くいる。母親たちは、子どもだけでもしっかりした教育に独自の文化を学んで欲しい、そしてダライラマがいる場所であれば理想的な生活が送れるだろうと、命がけで子どもをインドに亡命させていく。ヒマラヤ山脈で、凍死する子どももいるとのこと。警察に見つからないように、徒歩でヒマラヤを越えて行く。

子どもを送り出す母親の気持ちを考えると、胸が痛くなる。もう2度と子どもと会えないかもしれない。でも子どもには、独自の文化や宗教、教育を受けて欲しいと手放す。。。

私はチベットの文化についてよく知らなかったのだけれど、友人の写真やビデオを見ていると、民族衣装はすごく色鮮やかで、歌も踊りもなかなかユニーク。教育、宗教の自由、当然と思える権利が当たり前でない。。。チベットの人が独自の文化や文字、宗教を守りたいと思うことは当然だと思う。

彼女は夏にダラムサラで3ヶ月間のインターンをする予定。また帰国後に色々な話を聞きたいなと思う。

下記は彼女が撮影した、チベットの小学校。校舎はなく青空教室だったが、去年学校が出来たそう。

学校ができる前の写真。
imgapp5.jpg

更#24198;寺慈善学校的孩子#20204;

Every child is a treasure with incomparable worth.
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