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ウガンダへ
2009-07-15 Wed 05:44
明日からウガンダへ行って来ます。MUKWANO理事やサポートメンバーの4人がウガンダへ来るのです。4人にとっては、初めてのアフリカ大陸。皆、心配+楽しみと色々な気持ちが混ざっているようですが、どんな滞在になったかはまた後日お知らせします。


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メモリアル
2009-07-15 Wed 05:29
メモリアルセンターは、1994年のルワンダ大虐殺を伝える記念館で、ルワンダ国内、様々な場所にある。その1つにルワンダ南部のMurambiがある。このMurambiは1994年のジェノサイドの時に、多数の犠牲者を出した場所の1つでもある。

のどかな緑一杯の丘の上には、1994年以来、建設途中のままになっているtechnical schoolがあって、ここに3,0000以上の死体がある。いくつかは棺の中に、そしていくつか(約800)の死体は石灰石で保存され、部屋の中に無造作に置かれている。

おびただしい数の死体の山。部屋は訪問者が来たときにのみ開けられるようで、入ると死臭が漂う。奥に入れば入る程、その臭いはきつくなる。Murambiはジェノサイドが始まった時に、市長や司教から「安全な場所」と言われ、何人ものツチが逃げ込んできた場所である。何万もの人が逃げて来たが、政府はその瞬間に水や電気を全てカットし、弱った所を殺す。これが何日も続いた。

多くの頭蓋骨には大きな割れ目があった。なたで強く深く傷つけられたものだとガイドの人が教えてくれた。大人の死体の横には小さな赤ちゃんであろう死体も横たわっていた。赤ちゃんの死体の中には頭蓋骨がほとんどなくなってしまったものもあった。ジェノサイドの時に、小さな赤ん坊は壁に強く叩き付けられたから。トンカチで殴られたという赤ん坊もいた。虐殺者の中には、殺すのに疲れたからと言って、足だけ切って逃げられないようにし、翌日また殺しに来るということを繰り返していた人もいたと聞く。

いくつもの部屋を案内される。虐殺された人が身にまとっていた衣類が本棚に雑然と置かれている場所もあった。

実際の言葉はなくとも、1つ1つの死体が、虐殺の傷跡を生々しく語りかけていた。15年前のその時から時が止まってしまったかのようなこの学校。

1994年のジェノサイドでは約80万人が犠牲になったと言われている。80万人の命。誰が、どこで、どんな人生を送っていて、どんなふうに傷つけられたのかは私には分からない。でもそれぞれの死が固有の名前を持っていて、そこにそれぞれの家族や友人がいて、そしてそれぞれが苦しみとともに殺されていったのだ。

外では、鳥の声がこだまして、緑が太陽を浴びてきらきらしていて、元気な子どもたちが大きな声で笑っていて、なんだかその美しい現実と、ここで見た悲劇とのギャップに困惑しながら、私は帰りの道をとぼとぼ歩いていた。

ここで写真を撮ろうなんて全く思っていなかったのだけれど、ここで働いている人に、カメラは?と聞かれ「必ずここで見たことを伝えて。二度と悲劇が起きないように」と言われ、数枚の写真を撮ったので、ここに掲載します。

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紛争中の性的暴力
2009-07-10 Fri 18:31
性的暴力は、戦争の道具にされることが多い。ルワンダではジェノサイドを生き延びたツチ女性の大多数がレイプされていたとも言われている。私は、ルワンダに来てから、ジェノサイドで未亡人となった女性が立ち上げたlocal NGOの活動を何度か見学させてもらっていた。

私がJさんという女性と出会ったのは、このorganizationを通してだった。彼女は現在28歳。ジェノサイドが起きた15年前、多数の男性にレイプされ、その時にHIVに感染した。それは公の場で行われたため、近所に住む人も皆、彼女がレイプされるのを見ていたという。誰も助けてはくれなかった。カウンセラーが同席する中で、その時の詳細を教えてくれたのだけれど、あまりに惨い内容で私は言葉を失った。苦しかった。

彼女はジェノサイドが終わり、約10年間は当時のことがいつもフラッシュバックして、涙が止まらない日々が続いたと言う。ジェノサイドで殺されていれば良かったと何度も何度も思ったそうだ。しかし、カウンセリングを通して、本当に少しずつなんとか生きようと思えるようになり、HIVとも自ら戦えるようになったと話してくれた。それでも、レイプをされた時のこと、その時の男性の顔、姿、全て頭から消えることがないと言って、その後おさえていたのであろう涙を流し、しばらくの沈黙が流れた。

カウンセラーの何か話しかける声が聞こえたが、私は下げていた頭をあげることもできなかった。レイプされたことは、長期にわたって心理的なトラウマとなって被害者を苦しめる。精神的に、そして罪悪感を抱く女性もいれば、日常生活ができなくなったり、外に出ることさえ困難になってしまう女性もいる。

彼女は言っていた。
自分をレイプした男性のことは、誰なのかも知らない。近所に住んでいる人ではなかった。だから裁判に出て訴えることもできないと。
確かにジェノサイドは終わった。新しい国づくりに向かって、ルワンダは一歩も踏み出した。しかし、正義をachieveできない、大虐殺の被害者の悲しみ、苦しみは、心の中で今でもはち切れんばかりに膨らんでいる。

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Ingando③授業
2009-07-06 Mon 14:51
学生の中には、難民として隣国のブルンジやウガンダ、タンザニア、コンゴなどで育ち、ジェノサイド後にルワンダへ帰ってきたため、ルワンダの歴史や文化について学んだことがないという子もいる。ジェノサイドで家族や親戚を失った子もいれば、親が加害者で現在牢獄にいるという子もいる。生徒のバックグラウンドは様々で、3週間を通し平和に向けて考える授業がいくつもある。ルワンダの歴史や植民地がルワンダに及ぼした影響などをよく知らなかった学生もいた。


タンザニアで育った少女は教えてくれた。「自分の親戚一同を殺したのは全てフツで、両親から、悪いのは全てフツだと聞かされていた」。ルワンダのジェノサイドに関しては、しばしばフツによるツチの大量虐殺で簡単に括られることが多いけれど、実際にはその実態や要因は多様であり、そう呼ぶことは非常に危険である。1994年に両親を亡くした少年は言っていた。「植民地時代に作られたideologyについて知り、また今回のキャンプで色々な人と出会い、100%全て理解できた訳ではないけれど、positiveに強く生きていきたいと」。私はこうした言葉を聞き、このキャンプの持つ大きな意義を感じていた。

ただ、一方で数人の生徒からは又違った意見を聞く。「レッスンを聞いていて思ったのは、RPF(ツチ主体の愛国戦線)がフツに対して行った殺害についてはほとんどカバーされていない。」や「この国では政府のことを悪く言うことはできない。そのままを受け入れることが大切で、結局は自由とか平等はない。」「コンゴやタンザニア出身の人がこの国に来て外国人が増えてきているから、この国は今、平和でいられるのだ。」といった批判的な意見もあった。こうした意見は、決してtrainerなどには言えないし、ルワンダの中で声を出して言うことはできないということも、仲良くなった生徒の皆が教えてくれた。
「平和教育」―政府が主体である限り、結局は中立な教育はできないのだろうか。

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Ingando②生活
2009-07-04 Sat 22:23
朝4時に起床し、体を洗ったり、洗濯をしその後寮の掃除。5時半には約3~4キロをランニング。グループ皆でオリジナルの歌を考えたり、かけ声をかけながら緑のバナナ畑の中を走るのは、本当に爽快。普段運動不足の私でも。。。
しかし、、、正直言って、このキャンプは体力がないとかなりきつい。そのランニングの後は、腹筋や背筋、ラジオ体操のような運動を20分程度し、水を飲む休憩10分。それから日によって授業があったり、授業がない日はこの後2~3時間、運動が続くのだ。うさぎ飛びとか、屈伸してすぐに起き上がる運動、また石の上に膝をつけて膝で歩く運動だったり。2人ペアになって、約100メートルの道のりを片方がもう片方を背負って歩く。その帰りは逆の人が下になってもう片方を背負って帰ってくるという運動などなど。それからRDFのパレードの練習に、射撃訓練。運動不足の私はすぐに全身の筋肉痛になり、少し笑うだけでも身体が痛くなる程。。。(射撃訓練に関しては、何故平和教育の中に入っているのか未だによく分からないのだけれど、チーフインストラクターによれば銃を使うのは自分の国民を守る為であり、人をterrorizeするためではないことを教えるためだと聞く)。

昼食の時間も、それぞれのグループ約20分間。とうもろこしと豆を煮たものが毎日。午後も授業が続く日もあれば、徒歩2時間かけて湖へ行き、衣類を洗ったり、水汲みに行ったり。ルワンダの伝統式ダンスや歌について学ぶ時間もある。夕食は米と豆か、芋と豆。週に2日肉が加わり、19時から約20分の夕食の時間。その後、22時までその日の反省をしたり、歌やダンスなどが続く。22時半就寝。全てのスケジュールの時間が細かく決まっている訳ではないのだけれど、水を飲む時間も、昼食や夕食の時間もゆっくり食べていると、RDFのtrainerから木の棒で叩かれたり、グラウンドをランニングなどの罰があるため、きびきび動かなくてはならないし、休憩の時間はほとんどないに等しいので、リラックスする時間もない。

ルワンダはジェンダーの問題に関しても積極的に取り組んでいて、こうした訓練の際も男女は同じ訓練を受けることになる。男子学生の中でも、このキャンプは厳しすぎるといった声が聞こえる訳だから、女子の中には帰りたいと泣き出す学生もいる。でも泣けば、罰があるため泣けない。そうなると夜、もしくは隠れて涙を流しては、周りの友人が励まし合うという光景を何度も見た。
例えば、身体の具合が悪い生徒や、足や手などを怪我している生徒は運動に参加できないのだけれど、そうした子も、泥を顔につけるなど何かしらの罰を受けなくてはならない。この罰、理不尽だと思うことがあるのもしばしば。ただ、1期の生徒が3週間のプログラムを終えて、過酷なプログラムだったけれど、良い友だちが沢山できたと言っていたため、この厳しいキャンプで新しい友情が芽生えることは間違いなさそうだ。

体力をしっかりつけながら、共に悲しみや喜びを分かち合い、ルワンダ国民一丸となって平和を作ろうというメッセージが込められているというこのsolidarity camp(団結キャンプ)。運動中も食事中も食事の後も、指揮官によって号令がかけられると、皆が一斉に集まり、「Moja(モジャ)」と答える。このMojaはスワヒリ語で「1」という意味で、ルワンダ国民は1つ。皆でUniteしようという意味が込められているとのこと。

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(食事を待つ)

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Ingando①
2009-07-04 Sat 22:18
NURCが政府と協力して行っているプログラムの1つに「Ingando」という若者向けの平和教育プログラムがある。これは、中等教育を終え大学入学を控える学生が、必ず受けなくてはならないプログラムの1つ。このプログラムを受けなくては、大学に行けないのだ。6月上旬から始まり、12月まで約8000人の学生が9つの期にわかれて、3週間団体生活をする。私はこのうち1つ目の期の終盤から参加させてもらい、今2期目のグループと一緒に団体生活をしている。私は学生への修了書の名前記入の手伝いをしたり、このプログラムを見てのリポートを書いて欲しいと言われ、朝から夜まで学生の皆と生活を共にしている。

学生の皆は、20歳前後の若者。今一緒にいる2期目のグループはトータル910人で、女性が170人。残るが男性。ABCと3チームに分かれ、ABCの中でも3つの小グループに分かれる。このプログラムの指揮をとっているのが政府の軍隊(RDF)とあって、平和教育も軍隊式。15人のtrainerにチーフインストラクターがついて、朝から晩までみっちり訓練を受けたり、ルワンダの歴史や哲学、政治、開発などについて学ぶ。驚いたのが、皆RDFのユニフォームを着て長靴を履かなくてはならないこと。

1日目は私服で見学をしていたのだけれど、チーフインストラクターから「君も参加しないか?」と言われ、その後は私もこの訓練を学生と一緒に受けている。



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ビニール袋
2009-07-03 Fri 22:34
ルワンダに来て驚いたことの1つに、ルワンダの環境への取り組みがある。2005年からスタートしたそうだが、ルワンダへのビニール袋の持ち込みと、使用が禁止されている。

免税店などのビニール袋も、空港で持ち込みを禁止していて、ビニール製品は入国の際に捨てさせられる。ルワンダ国内では環境を考え、 スーパーや、衣料品店、靴屋など様々なお店で、ビニール袋を持ち帰り用として使うことはできない。100%全てのお店でビニール袋を廃止した訳ではないようだけれど、私が街を歩いている限り、持ち帰り用のビニールは全く見ない。ビニール袋の代わりに、商品は紙袋に入れられる。これ魚や肉を買った時もそうだった。

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またルワンダの街は綺麗だ。毎月最終週の土曜日には政府主導の清掃活動があり、それぞれの地区で掃除をし、会合を開くそう。ウガンダではしょっちゅう、街中でビニール袋を見かけたし、ゴミも所々に散らかっているため、お隣の国とは言え状況が色々違う。またこれもウガンダとは異なり、ルワンダでは、バイクタクシー(ウガンダで言う所のボーダーボーダー)はドライバーも乗客もヘルメットを絶対着用しなくてはいけない。ドライバーは全て政府機関に登録をされていて、緑色のゼッケン(ベスト?)をつけ、ヘルメット2つ(1つは本人用、もう1つがお客さん用)を持っている。

私は今タンザニア出身の友人夫妻の家に滞在をしているのだが、その夫妻も口々に言っていたのは、ルワンダは本当に厳しい国だと。夜の8時になると公共の交通機関は、ぐんと少なくなるし、友人曰く賄賂もなければ、偽札も流出していないと。厳しいけれど、外国人にとっても住みやすいのでは?と言っていた。ただ、上記のことを含め、とにかく規則が色々あるらしい。

で、小さい国ということもあるが、こうした規則が発令されると、すぐに街中に広まり、皆が規則を守ること。これは若干異様にも見えるそう。

環境への取り組み、他の国も学ぶことが色々ありそうだ。と同時に、この国の政府の力の強さというものを、数週間ながら感じる。


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ルワンダ到着
2009-07-03 Fri 21:34
キガリに到着して、数日後にはネットが使えるようになったのだけれど(携帯でつないでいるため、アクセスに非常に時間がかかるが)、なんだか、自分の気持ちや頭の整理ができず、ブログを書くことが出来なかった。一見平和に見えるルワンダの街だが、15年前に起きたジェノサイドは今も国民の中で、すごく大きなものであることを感じる日々。ジェノサイドのこと、親しくなったルワンダ人にも、自分から聞くことはしなかったし、できなかった。でも自分の働いている機関NURC(National Unity Reconciliation Commission)がルワンダ国民の和解を目的に設立された機関なので、オフィス内でも又、オフィス外での活動に参加した際にも、色々な人からジェノサイドについて聞くことが多くあった。ルワンダで自分が見たこと、感じたことなど、3ヶ月ですが(ってもうすでに3週間以上経過していますが)、少しずつ綴っていければと思う。


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