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2005-01-08 Sat 02:52
私がアントニアと出会ったのは、去年の10月。

私がウガンダに来て間もない頃だ。
Uganda Christian Universityで心理学部生を対象にした3日間のワークショップが開かれ、私もそれに参加したことがきっかけだ。

アントニアは将来は、ソーシャルワーカーになりたいという22歳。ワークショップ期間中講義が終わるといつも
「今日のレッスンはどうだった?」とか「日本の大学とこの大学はどう違う?」など彼女からよく意見を求められた。

ワークショップが終わってからも、彼女とは一緒に買い物をしたり、彼女の友人の家に遊びに行ったり、彼女の学生寮を訪れたり、ランチやお茶をしたりと週に1度は必ずといっていいほど会っている。
(休日の生活は、ほとんど日本にいるときと変わらない!)


こんな風に仲良くなれたのも、彼女の性格に所以する所が大きい。まず彼女はウガンダ人にしては非常に珍しく、時間に正確だ。
大抵ウガンダ人と約束をすると、2-3時間の遅刻は当たり前。なんでも「ゆっくり」「のんびり」が多いのだが、彼女の場合は違う。

約束の時間より前に来ていることも多いし、根っから真面目で面倒見が良い。更にこれは余談だが、彼女の食の好みが私と似ているのだ。彼女はウガンダの主食のマトケが大嫌い。実は私もマトケが苦手で、小学校の昼食や友人宅で出されたりすると、いつも苦笑いをしながら必死で食べている。
一方彼女の好物はライスとチャパティーにキャッサバ。(私と一致している。)

そんな彼女からクリスマスホリデーを彼女の実家で過ごさないかという誘いを受け、約2週間ウガンダ南西部(カセセ県)へ行ってきた。
カンパラよりバスで約6時間半、アントニアの実家はクイーーンエリザベスナショナルパーク内にある。コンゴ民主共和国との国境にある、エドワード湖とジョージ湖周辺を含む国立公園だ。

この公園の中に、ここで働く人のみが住むエリアがあるのだ。
彼女のお母さんは約30年以上の間、この公園の施設管理士として働いている。


アントニアは象やマングース、ウォータバック、カバや200種類以上の鳥たちに囲まれて育ったのだ。小学生の頃、私はアフリカ大陸に住む人は、いつも動物と一緒に暮らしているんだと思っていたが、これは大きな誤りだということをアフリカに来て初めて知った。


ナンサナの子供たち、いや動物園や国立公園外に住むウガンダ人は、牛やうさぎ、豚、やぎ、羊(以上羅列したものは全て食用となる)、猫、犬、猿、ウミガメ、レイヨウ(アンテロープ)などは見たことがあっても、ライオンやシマウマ、キリンなどは動物園に行かなければ、見られないということも知っている。


彼女は「ベティ」(長女・27歳)・「シドニー」(長男・26歳)・「アントニア」(22歳)・「カトー」(男・22歳、アントニアは双子)・「ラファエル」(男・13歳)の5人兄弟。


今回のクリスマスホリデーにはアントニアとラファエルのみが実家へ帰ってきた。
(ラファエルはSecondary schoolの学生―日本でいう中学生で、普段は寮に入っているため久しぶりに帰宅したそう。)


他にカトーの子供ラドリック(男・2歳)とシドニーの子供(7ヶ月)、―この2人はいつも、おばあちゃんにあたるアント二アのお母さんと一緒に暮らしている。そしてHousekeeperのローズが一緒だった。


アントニアの父親は2年前に交通事故で亡くなった。
生前はムセベニ大統領の付き人として、国内はもとより世界各地を飛び回っていたそう。
母親は、ヒルダーという名前なのだが、ウガンダでは双子のお母さんを敬称して、「ナロンゴ」と呼ぶため、いつも周りから「ナロンゴ、ナロンゴ」と親しまれている。


彼女の実家は素晴らしい環境の中にあった。
家の目の前にはマンゴーの木。公園内の高級ホテルとは打って変わって、この住居エリアは貧しい家が立ち並んでいるのだが、(アント二ア家に電気はない)黄色や緑、赤色、様々な色に身を包まれた小鳥たちが窓辺の仕切りに止まっていたり、窓から外を覗けば象が立ち止まってこちらを見ていたりと動物好きの私にとっては夢のような世界が広がっていた。


象以外にも、Wathogやカバ、マングースなどが家の前を普通に通る。日本で育った私には、ひとしきり感動を覚えた。
更に夜はライオンたちもこの住居エリアにやってくる。ライオンの唸り声が夜12時にもなれば、すぐ近くに聞こえ、チャンスさえあればどんな獲物も逃さないライオンたちを恐れて、ここに住む人たちは夜は外にある共同トイレには行かず、我慢するか部屋の中の洗面器で用を足さなくてはいけない。これは慣れるまでに時間がかかった。


クリスマスは国民の約65パーセントがクリスチャンのため、ウガンダ国内この時期はお祝いムードで盛り上がる。
バスや鶏などの値段も高騰する。ちなみにカンパラからカセセまでのバス代は通常10000シリング(650円くらい)が20000シリング(1300円)と2倍になっていた。


クリスマスイブには、皆で近くの木を切ってクリスマスの飾り付けをしたり(持っていった折り紙も大活躍した)、チキンやライス、豆、カロ(日本の草もちのようなもの。ウガンダ南西部ではこれを主食とする人が多い)、魚など豪華なディナーが食卓を彩り、私たちはわいわい楽しく夜を過ごした。


コンゴの山に沈む夕日がとっても綺麗だった。24日の深夜には公園内にある、小さなカソリック教会を訪れて、serviceを受ける。


楽しい日はあっという間に過ぎていった。 ところが28日朝。
アントニアが体調不良を訴える。頭に手を当ててみると、驚く程熱い。体温を測ってみると、40度。更に全身の痙攣に嘔吐を繰り返す。お母さんは「これはマラリアだろう。」と言い、温かい飲み物やグルコスglucossという栄養剤をアント二アに渡す。


何も出来ず慌てている私を見て、ナロンゴは「ゆか、心配しないで平気。この地域は蚊の発生数が多いため、雨期の時期はマラリアになる人が多いの。」と平然と言う。


12月末はまだ雨期なのだ。確かに私自身もここカセセに来てから、蚊に刺される量が更に増えた。ナンサナにいる時でさえ、沢山の蚊に刺されているのに、もういいでしょう、刺さないでと蚊に言いたくなる位、痒みも半端ではなかった。


私はお母さんに「すぐに病院へ行った方が良いのではないか?」と提案する。お母さんは「病院は車で1時間、町へ行かなくてはないのよ。今日は観光客が多く、ゲームドライブ用の車が一杯だから、明日にでも空けば良いのだけれど」と話す。


誰かが町へ行く次いでか、車が空いていなければ、町へは行けない。当然ながらどんなに緊急の病気でもそれは変わらないのだ。町と田舎の大きな違いを見せつけられたような気がした。私はラファエルが木に登ってとってきたマンゴーをむくこと、牛乳を温めることくらいしかできなくて、居ても立っても居られなくなっていた。


そして翌日も車は一杯。アント二アの症状は良くなるどころか、悪化している。黄色い液体を何度も何度も吐く。高熱のため、寝ることが出来ず、目を開けたまま体を奮わせる。


そんな時にもアント二アが「ゆかのホリデーは最悪になってしまったね。ごめんね」と言ってくる姿が辛かった。「そんなこと言わないで。早く元気になって」と言いながら、私は心の中で必死にお祈りをしていた。


29日午後、この公園内にいるたった1人の看護婦さんが噂を聞きつけて、アント二ア家にやってきてくれた。高熱を下げる注射を打つ。その夜はアント二アの体から沢山の汗が流れ出た。これは熱が出て行ったからだろうか。アント二アもずい分楽になったようだった。


30日朝。公園内に他にマラリア患者が2人いたこと。車が空いたことなどが重なって、ようやくアント二アは町の病院へ行ける事になった。お母さんが一緒に付いていくことになる。このため、家にはラファエルに2人の子供。ローズと私が残ることに。ここからが大変だった。


アント二アとお母さんは病院へ行ったまま1月2日まで入院することになってしまったのだ。マラリアはマラリア原虫を持つハマダラカ属の蚊に吸血されることによって感染する。マラリアには種類が色々あるのだが、彼女のマラリアは非常に悪性だったそう。予断を許さない状況で、(死に至る可能性も含んでいた)点滴と1日2度の注射を継続的に受けたとのこと。


この間、31日にラファエルもマラリアにかかる。と同時に2人の子供がインフルエンザになる。お手伝いさんのローズが踊ることが大好きで、こんな大変な時に公園内のどこかへ踊りに行ってしまったため、大人は私1人が残されてしまった。


少しだけ持ってきていた日本製の薬を砕いて(2歳や7ヶ月の子供には1錠が大きすぎた)ソーダに溶かして入れ、少しずつ飲ませる。これには成功。熱は1時間後にはすっかり下がっていた。
ただ、2人の子供の鼻水がいつまで経っても止まらないこと、夜中にお母さん!と泣き出してしまうこと、それからすぐにおしっこをしてしまったり、朝5時くらいにお腹が空いたと訴えてきたり・・未熟な私にはどうしたら良いか分からないことが沢山あって、困ってしまった。


近所の人に、助けを求めに行くも、どこも同じように病人が溢れていたり、英語が通じなかったり、(ここではンニャンコレ語が主な言語)・・・私は一杯一杯になってしまった。


そんな矢先、ローズが「髪を編みたいから700シリング欲しい。それと、今日はいているtrouserくれない?」と暢気なことを言って来る。私はあまりに呆れかえってしまい、大声で怒鳴ってしまう。
「こんな時に、貴方は何を言っているの?」口論となる。
ローズはンニャンコレ語で何か言っているが、私には当然理解することもできず・・・仕方ない。喧嘩をしても無駄だと思い、ラファエルをベットに寝かせ、2人のちびっ子と外でボール遊び。


こんな時間がしばらく続く。2日、ようやくアント二アが退院。お母さんと一緒に帰ってくるが、もちろん体調は万全に戻ったわけではなく、弱弱しい。でも、お母さんが帰ってきてくれたことで、他の3人の子供たちも安心しているのが手に取るように分かる。


マラリアは東アフリカでもっともありふれた病気だ。ただ、単なる風邪とは違って、この病気が原因で亡くなる人が、年間150万人から300万人もいるのだ。
アント二アのケースだって一歩間違えればと思うと、ぞっとする。アフリカにはマラリアの他にも黄熱病、睡眠病、腸チフス、赤痢、コレラなどの病気が蔓延している。

病気との共存が生活の一角をなしている。
特に田舎へ行けば行くほど、その割合は高くなる。
病気になって、そのまま「死」に至るケースは後を絶たない。
ウガンダ人と共に生きるということは「病気との共存」をも意味するのだ。

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