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Rwandan Genocide-ICTR
2008-12-04 Thu 05:13
来週のessay提出に向けて、ここ最近はルワンダのジェノサイドとルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)におけるジェンダーの関係を調べてきた。1994年に起こったルワンダのジェノサイドでは約100日間に80万‐100万人が殺されたと言われている。そしてその期間に、暴行を受けた女性 の数も約50万人に及ぶと見られている。Tutsiと穏健派のHutuの男性も女性も暴力のターゲットになったが、中でも女性に対する性的暴力は、戦争の道具として用いられた。(Human Rights Watchのデータでは、16歳から26歳の女性が主に狙われが、最終的には2歳から50歳以上まで広範囲に及んだとしている)。
 
生き残った女性のうち、半分以上がHIVに感染したというデータもある。ルワンダ政府が公式に発表したドキュメントによれば、1994年7月ジェノサイドの後、HIVの感染率は大幅に上がったという。またジェノサイドの後、2000人から5000人の子どもが、性的暴力によって生まれた。そうした子ども達は「憎しみの子ども」とか「悪い思い出の子ども」と呼ばれた。

ジェノサイドの直後、ルワンダ国内の人口は約70%が女性となった。1994年11月に、国連の安全保障理事会はICTRを設立。1995年2月の決議977によってタンザニアのアルーシャに設置され、1995年11月に裁判所の任務が開始された。

そして1998年9月のICTR判決(検察VSJean-Paul Akayesu)により、初めて性的暴力が集団虐殺行為として訴追されうることになった。Jean-Paul Akayesuは集団虐殺、人道に対する罪、戦争犯罪の罪で告訴された。具体的には集団の性的暴力を黙認していたという罪である。

1994年のジェノサイドに関連する罪を、国際裁判基準に基づいて公正かつ公平に調査し起訴することができるのかということに関しては深刻な懸念が残っている。現に2004年までの裁判記録では、90%の裁判が性的暴力の有罪判決は含んでいなかったとされる。ICTRは、まずタンザニアのアルーシャにあり、地理的に遠いこと。ルワンダの人があまりICTRについて十分な知識を持っていなかったことが理由にあげられる。でもそれはほんの1つの理由に過ぎず、大きな問題としては被害者や目撃者(証人)のプライバシーや安全が守られていなかったこと、それから検察官や弁護士に女性がほんの数人しかいなかったことは大きな理由の1つにあげられている。例えば、ICTRで実際に証言をした女性の個人情報が外に漏れていて、その後その彼女は社会で孤立し、脅かされたという例もある。

社会的なcontextも影響している。ルワンダでは人前で性的暴力について話すことはタブーとされてきた。ただこれに関しては、あるインタビューでは性的暴力を受けた多くの女性が、女性の前でなら話せるということを述べていた。ICTRには、すべての犠牲者と証人の身の安全を保証するまでは、土台が整っていなかったのだ。

今なお、ジェノサイドの時に負った傷と闘いながら生きている人の声を、文書で幾度も読んだ。またBradfordの友人の友人がルワンダ人で、その彼女によれば2008年の今も、「1994年にルワンダにいた」と分かれば、女性はすぐに「汚いもの」というレッテルを張られるという。

紛争、ジェノサイドは、男性にも女性にもネガティブなインパクトを与える。ジェノサイドも時が経つにつれ、過去の忌ましい出来事と捉えがちだが、過去に苦しみながら生きる人々にとっては、紛争はまだ続いているとも言えるのではないか。Conflicts cannot be resolved without overcoming hatred (by Jeong). (紛争は憎悪を乗り越えることなしに、解決はされない)。戦争は和平合意が結ばれたからといって終わりではないのだ。
 
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