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冬到来
2009-09-24 Thu 23:20
後ろ髪をひかれる思いで、ルワンダを後にして、イギリスへ戻って来たら季節はすっかり冬。気温も10~15度前後。風が冷たい。ルワンダの気候が快適だっただけに、一気に気分がダウン。

ルワンダを出る2週間くらい前は、本当にバタバタと動いていた。色々やり残した仕事を仕上げたり、お世話になった人に挨拶廻りをしたり。。。更に最後の週は、local NGOが行っているfieldでの活動にほぼ毎日同行させてもらっていたため、最後まで慌ただしい日々が続いた。

その中の1つ。
fieldで訪れたある小さな村で、1995年に出来た女性グループに出会う。このグループはもともとジェノサイドで夫を亡くした女性が立ち上げたもので、未亡人皆で協力して生きていこうといった目的で設立された。でもグループの会合は、いつも悲しみと絶望で一杯で、参加する皆が皆、生きる希望を失っていた。数年経っても状況はあまり変わらなかった。

村の中で、加害者やその家族と出会う度に、怒りや苦しみが増した。村での生活は、加害者や加害者の家族と顔を合わせたくなくても、必然的にあう環境に置かれている。水汲み場が同じ場所だったり、main roadに行く道でばったり出会ってしまったり。その度に過去の記憶が蘇り、トラウマを抱えながら生きていた。そんな時に、グループのリーダーの1人が、教会の牧師を呼んで話を聞いてもらおうと提案。呼ばれたその牧師は、このグループに難題を提案する。「このグループが女性で構成されているのなら、加害者の妻たちをこのグループに呼んでみてはどうか?」と。加害者の中にはすでに裁判にかけられ投獄され、妻だけが残っている家も多くあった。

最初は、全員の女性が反対をした。でも数ヶ月が経ち、未だ反対する人が多い中、「じゃあ1度だけなら」と言う人が数人出て来て、ある日、村に数多くいる加害者の妻を、会合に呼んでみる。そこでジェノサイド後、両者の間で初めて言葉が交わされる。その後、「1度だけなら」から、「もう1度呼んでみよう」となり、このグループは今や未亡人や夫が加害者の妻など色々な立場の女性が参加するようになった。

このグループの会合では、色々なことを感じた。まず訪問後、私はこのグループから様々な質問を受ける。今までNURCやローカルNGOのフィールドでの仕事同行中に、ここまで沢山の質問を受けることがなかったので、正直面食らった。その質問の内容も、「和解についてルワンダに来る前はどう思っていたか?ルワンダに来た後で、その考えは変わったか?」などから、「ルワンダは他のアフリカの国に比べてどうか?」「私たちのことをどう思うか?」など数知れず。

その後は、色々な立場の女性が、自ら色々な体験を語ってくれた。その中にJさんとSさんがいる。複数のツチの村人を殺害したとしてGacaca裁判にかけられた夫。夫は裁判でも頑なに罪を否定した。夫の殺害現場を何度も目撃していた妻のJさん。Jさんは、自分の夫に罪を告白するように言うが、夫は拒む。その夫に下された罪は、懲役25年。その後もJさんは、夫が犯した罪の重さに苦しみ、何もしなかった、殺害を止めることができなかったことに苦しんでいた。そんな中、この女性グループの会合に出るようになって、ジェノサイド後初めて、被害者の女性達と話をするようになる。その中には自分の夫が殺した家族を持つ女性Sさんもいた。

Sさんは、自分の夫を殺した加害者の妻Jさんがこの会合に来ることに、最初は猛反対だった。でも、何度かこの会合で顔を合わせるうちに、Jさんから話しかけられる。その後何度も会う中で、Jさんは自分の夫が犯した罪を赦してほしい、とSさんにただただ謝った。Jさんの謝罪からSさんがJさんやJさんの夫を赦すことを選択するまでの道のりがどのようなものだったかは、全く分からないが、JさんとSさんの間で、新たな関係が生まれていることは確かだった。

正義や和解は私にとって、とても難しい問題であり、ルワンダで色々な立場の色々な声を聞く度に、やるせなさとか怒り、胸に込め上げてくる色々な感情がぐるぐる自分の中で回っていたのだけれど、このような形で和解の道を選択した女性の声を聞き、平和構築にかすかな希望を見いだすことができた。

ただ、同時に、未だに心に深く傷を負い、苦しんでいる大勢の人のことを想うと、そうした人々が苦しみや悲しみから癒される日が来ることを願ってやまない。ルワンダでの経験は自分の中であまりに大きく、イギリスへ戻って来た今も、未だに消化できないでいるが、これからもルワンダのことを見ていきたいと思う。

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和解とは
2009-09-06 Sun 13:51
各大学や教育機関で、度々行われるNURC主催の講義。ここでは、ルワンダ政府がいかに強い民主主義の国で、言論の自由があるかといった話があったり、「unity and reconciliation」に向けて行った(達成した)ことの数々が紹介される。英語でのパワーポイントと、現地語(Kinyarwanda)→英語での通訳を介して聞いている訳だが、聞いていて疑問を感じることも多い。

local NGOの話を聞いたり、fieldで直接、現地の人と話をすればする程、色々な現実が見えてくる。これは政府機関だけで働いていると、見えない部分で、和解の複雑さや政府の力の強さなどというものをひしひしと感じている。

ルワンダはジェノサイド後、国家の課題として「和解」を掲げた。そして15年経った今、一定の成果を挙げたとし、カンファレンスやワークショップなどでは、「achievements」(達成)がいくつも述べられ、和解が達成されたかのような印象さえ受ける。

でも現実は、もっと複雑だ。ここ数週間に渡ってfieldに行って学んだこと、感じたことがある。それは、上からの和解に対する圧力(和解が平和構築に必要で、和解は必須といった考え)をプレッシャーに感じている人も多いということ。和解は決して強要するものではないし、赦すことや、赦しを求めることも強制することではない。

でも実際、現場の色々な人と話をしていると、自分の愛する家族や友人を殺した人を赦さなくてはいけないと思っている人が多いことを知った。一方、Gacaca裁判でも罪を告白することを強要するような状況も多く、上からの圧力で罪を認め、赦しを請うということもあるのだということを知った。そうした場合、結局は心から罪を償うという自発的なものではない。

実際には、加害者への憎しみが消えず、悲しみや苦しみと戦いながら生きている、それでもなんとか生きようとしている人もいる。感情をコントロールしなくてはならないと言う人もいた。そのような状況の中で、政府が「和解」を強いれば強いる程、被害者の苦しみは増すのではないか。和解は、個人的なもので、当事者によってそのプロセスは異なる。ジェノサイドが起きたのは15年前。人々の心の憎しみやトラウマは決して簡単には拭いきれるものではないと思う。和解を急ぎ、また強いる環境の中では、真の意味での和解は生まれないと思う。

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披露宴
2009-08-30 Sun 18:00
教会で式を無事執り行った2人はその後披露宴へ。2人の入場に続き、ダンスや歌のチームが催しを行ったり、友人や家族のスピーチ。ケーキカット、ケーキバイトがあり、その後はそのケーキを新郎新婦が列席者へ配ったり。

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興味深かったのは、ゲストの方のギフト贈呈時間。ゲスト代表のグループがいくつかあり、それぞれがギフトの説明をマイクで延々とする。そのギフトが何で、どうやって使って欲しいかなど細かく説明。
ギフトもバナナの繊維で作られたマットやミルクを入れる為のつぼなど様々だった。

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列席者の数も150人くらいで、豪華な披露宴。披露宴では食事はなく、ソーダやケーキが振る舞われた。結納式に始まり、長丁場のセレモニーの数々だったが、2人の幸せが伝わってきて、とても楽しませてもらった私。誘ってくれた警察官の友人にお礼を言うと、彼はようやく一連のセレモニーが終わってゆっくりできることがとても嬉しいと言っていた。親族や同僚は、1ヶ月半くらい前から、毎週ミーティングを重ね、お金をcontributeし、それぞれの役割分担をしっかりと全うせねばならず、周りはとても大変なのだと。確かに、2人の幸せ、また無事セレモニーが行われたのも、多くの人の協力があったからこそ。関わった多くの皆さんにお礼を。そして新郎新婦の2人へ。本当におめでとうございます。

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(ルワンダの伝統的衣装 Imishananaを着て、出席)。

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